記憶とは

記憶とは何だろう、という話の中で、この「印象に残った授業」カテゴリが思い当たった。
数ある授業の中でも、何故か、どうしてか、言葉だったり詳細だったりを記憶している授業たち。
ここにある理由は、共感だったり、新しい発見だったり、そういう理由だと思う。
一つ書き忘れていた授業を思い出した。
TM小学校のU田校長先生は、朝会のお話で、ノック2回はトイレのノックだと言った。お部屋に入る時は3回ですよ、と。
以来、ノックする時に必ず思い出してしまうのでした。

オルゴール

高3の音楽の授業だった。
教育実習生の先生が、小さなオルゴールを持ってきてくれた。ただ、音がほとんどしなかった。
ところが、机の上で、非常に大きな音がした。
反響板がついていないとのこと。机を反響板にすれば、音がする、と。
あたりまえなんだけど、そのリアリティが印象に残ることとなりました。
悪がきばっかで辛かったと思うのですが、お元気でしょうか。
あなたの授業は印象的でした。

真澄鏡とラフマニノフのピアノ協奏曲第3番

音楽の授業は印象に残っているものばかりですべては書ききれない。
大学では特に2つのお話が記憶に強く残っている。
ひとつは、真澄鏡という音楽の話。
ゲストでいらっしゃっていた小坂直敏先生が作品を披露してくれた。
詳しくは覚えていないが、高度なサンプリング技術を駆使して、人の声のリアリティにこだわった作品という話だったと思う。
音楽を聴いた自分の感覚が、人の声の生々しさ、だったので、非常に共感したのだった。
…が、先生に直接フィードバックできなかったのが失敗だった。その反省も含めて記憶から消えないだろう。
もうひとつは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の話。
まずピアノ協奏曲という形式がとても好きなのだが、その中でもその形式のメリットを生かしきった感じを受けていたのがピアノ協奏曲第3番だった。
というところで、授業の中であるゲストの先生が「あれはピアノ協奏曲の完成系ですね」みたいな話をして下さったので、それはもう感激だった。
授業の中で激しくうなずいたのを目にとめてくださったと記憶している。
ただ、何先生だか忘れてしまったんだよな…
フィードバックとお名前は大切だ…

脳研究と養殖

今思えば、脳科学の授業がこんなにあっただなんて、何と幸せだったんだろう。
脳の研究には、情報伝播の仕組みを知る必要がある。なるほど。
だから、脳細胞に近い構造を持った、イカか何かが大量に必要だが、養殖ができない。だったら、まずは養殖技術だろうということで、何年もかけて養殖の方法を考えて、成功。
まじすか。研究の為には養殖もやっちゃうんか。というので衝撃だった。
すし屋に喜ばれまくる、という話も印象的だったなぁ。
この授業の結論は「人は愛がなければ生きられない」というものだった。これは強く記憶に残っている。
事故で脳の一部を損傷してしまっても、ひたすら愛をそそげば脳の他の部分が損傷部分の機能を補ってしまう。でも、愛を一瞬疑ってしまったら、その補填がうまくいかなくなってしまった瞬間があった。そんなお話だったと思う。
愛って、すごい。と、素直に思った。

思考と発想

大学3年くらいの授業だっただろうか。
KDDでレーザーの研究をしていた先生は、悩みに悩んだ結果、特急のグリーン車でひらめいてしまったそうだ。
ひらめいてしまったら、大変だ。この思考の連続性を何とか書き留めておかないと。がらがらだった車内の椅子を倒しまくって、書類を全面に広げたという。
中学の時、受験勉強で幾何の証明がどうしてもできずにあきらめて寝て、夢の中で思いついてしまったことがあった。この時の証明を覚えていたか忘れていたかは忘れてしまったが、覚えていたとしても慌てて書き留めていたと思う。夢の中で自分史上最高傑作の「月」という現代曲を作曲してしまったこともあったが、夢の中で夢と気づいて、音と楽譜の両面から必死に覚えようとして起きて結局失敗、ということもあった。
だから、何かまだ安定しない完全な論理性をとどめておきたいという気持ちがよくわかって、印象に残っている。物理的空間を十分に使った思考の整理、という面でも共感した。
この先生の言葉はひとつひとつが輝いていたと思う。自殺しそうになったころに、ひたすら太陽と反対側の青い空を追いかけて車で走った話、脳の思考分担とプロセスの図(?)が実は重なるという、仮説段階だがほんとうに重ねて見せてくれたこと。授業に対して自らフィードバックをした数少ない授業かもしれない。
繊細さの中に強さのある先生だった…が、何という先生だか忘れてしまったところが痛い。

飛ぶ男

I川先生の国語の授業は続きます。
朝まだ暗い中起きて、台所で牛乳を飲んだら、サラリーマンが空を飛んでいた。
そんな話だったと思う…
明け方の空と、牛乳の濃い味がうぇ~っ!って感じて、とても印象的だった。
潜在的に自分の夢との共通点を感じてしまっていたのかもしれない。
その後読んだ「笑う月」で、さらに自分の夢、その異質、恐怖、みたいなものとの一体感を感じる。
飛ぶ男も、夢がヒントになったのだろうか。
夢を深追いしないほうがよいというのも共感。

陰影礼賛

谷崎潤一郎のこの作品の中では、障子越しの光を様々な言葉遣いで表現していたように思う。忘れたけど。
光とは直接光だーという直輸入的考え方と違うものを感じて、衝撃だった。
そうしたら、日本家屋の障子とその光加減が様々にvisualizeされてしまって、びっくりした。
I川先生、ありがとう。ぼくは忘れてないですー
ところで、木のお椀のお話が出てくるのって、これだったっけ…
「うちはプラスチックのお椀です」と言ったら、「いいからすぐに木のお椀を買え!」と言われて、買ってもらった(^^;;; いいもの、を教えてくれようとしたんだろうか。よかった。

書を捨てよ、街に出よう

…とは、寺山修司が言った言葉だそうだ。
J高3年の時担任だった国語のI川先生からその言葉を聞いた時、何か空が晴れた気がした。
ああ、そうしてみよう。なんて。
先生どうしてますか? お嬢様大きくなったかな…

家族とfamily

Y先生の授業。
英語では両親と自分をまとめてfamilyとは言わないらしい。
自分が親ではじめてfamily。
ちょっと印象的だった。
いろいろ考えると時々思い出す概念です。

停止問題

大学の授業で停止問題について扱われたことがある。詳細は忘れたが、確か「プログラムが停止するかどうかを検出するプログラムは書けない」ということを数学的帰納法っぽいやり方で証明する、という話だったと思う。
このことを自分で証明した時、ある種の衝撃が走った。当時のぼくは理由がよくわからなかったが、今思えば「実装できない仕様がある」ということに驚いたのかな…
今世の中で起こっていることとは数学的に全く別の次元の話かもしれないが、感覚的には忘れたくない…
仕様の世界にもP≠NPみたいなことってあるんだろうか。ある仕様によって引き起こされる、仕様間の関連や表に見えない仕様を含めた仕様全体の複雑性を知る方法とかあるんだろうか…