仕事の中の曖昧な不安

読んでません。全く読んでません。
…あ、ウソです。帯だけ読みました。
「フリーターより深刻な、過剰に働く若者の存在」
この一文でいいんです。
この本とは関係なく、ふと、今打ち出されている軸である、生産性向上、そして効率で評価、という話は幻ではないかと思いました。
それではぼくはどこまでやれば評価されるのだろう、と考えた結果です。
どうしたら評価されるのか。「死んだら評価される」です。死ぬまでは評価されないです。
死ぬ直前まで働いても、働きは足らないのです。何故なら、要求は∞であり、期日は今すぐだからです。
死んだら、「あぁ死ぬまで働いたんだ…大変だったね」。これはみんなが必ず言ってくれます。評価された瞬間でしょう。病んでる? (^^;;
#評価と満足がかなりごっちゃになってるかなー>自分
電車の運転手は、亡くなっても評価されないのか…
ちなみに、率から見たらぼくは過剰に働いてるわけではないです、きっと。

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“仕事の中の曖昧な不安” への5件の返信

  1. 脱線だが、「今の時代戦争だ戦争だ」というのもよく聞かされる。
    そしたら、従業員という言葉は詐欺なのでは…
    「従業員募集」ではなくて「隊員募集」だ。「就業時間」ではなくて「戦闘時間」だ。
    幕僚(?)さん、広告直しましょうよぉ。

  2. 最近のニュースで、博士号とっても就職厳しいと言うのを読んで、本気で胃が痛くなってしまいました。仕事が無いか、あっても過剰に働かされるかの二極化が進んでいくのかな…。
    ちなみにかの国では(あなたがラジオで聞いた放送の)、「田植え戦闘」とか言うらしいです。労働は全部戦闘なんだって。

  3. 田植えも戦闘扱いされちゃったら本来の仕事の楽しさなんて消えちゃうね…
    そういう意味では隠してくれていたほうがまだよいのかもね。
    博士としての仕事かぁ…日本の組織は頭のいい人に役立ってもらうのが苦手なのかな。
    博士を隠しちゃうとか!#意味ないか…

  4. …………。
    最後の「8人」になりそうな気がしてきた……。
    博士課程の数年間の努力は、全部意味のない徒労なのかな…。
    博士隠すっていうのも、自分で自分のやってきたことの否定だよね。
    どよどよ。

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